「年間第28主日」(A年) 説教
2011年10月9日・加藤 英雄師

 

  王子の婚宴の食卓は礼服を着た人たちでいっぱいになった。
王は言われました。家来が町の大通りに出て、見かけたものは誰でも婚宴に連れて来なさい。善人も、悪人もみな集った。そんなようにして、婚宴の席はいっぱいになった。 王は王子の結婚を大いに喜んでおられる。招いておいた人を呼ばれた。人々は来ようとしない。二度目、別の家来を使いに出した。食事の用意は整っています。最高の食卓です。二度目の招待も人々は無視する。王は人々を見る。人々は自分の仕事に気を取られている。自分の世界を満足させる事しか考えていない。人々は王がいることは知っている。しかし、王子を認めない。王子の婚宴が開かれ、われわれはそれに招かれている。招待に行けば、王から「王子は神である」事を信仰とすることを求められるに違いない。王子に関する事は聞きたくない。そして、王の家来に乱暴する、殺す。王は怒った。招いておいた者どもはふさわしくない。ユダヤの民は招かれていた。ユダヤの民は、我々は神の民であると誇りを持っている。しかし、王の呼びかけを拒否した。王のうちにいない者なった。死んだものとなった。今や、招いておいた人々はわたしとつながっていない。町の大通りに出て、見かけた人を連れて気なさい。婚宴はいっぱいになった。主は礼服を着ていない人を見つけた。あなたは礼服を着ていない。なぜここに来たのか。

福音書のこのたとえ話はイエス様の出来事ではないでしょうか。イエスが復活して、新しい命が示された。イエスの内にある者は、死んでも生きる。イエスによって神様への道が示される。神様は言われる。イエスによってわたしの言葉が語られる。イエスによってわたしのみ心がおこなわれる。イエスは神。ファイサイ派の人々、律法学者たちはその様なことを信じる事が出来ない。
ファリサイ派の人々、律法学者たちは神様のみ心が見えない。見ようとしない。文字に書かれた律法を守る。文字に書かれた律法を守ろうとして、ファリサイ派、律法学者の人々がこまごまと取り決める。イエスは善人に、また悪人に声をかける。主の婚宴に行こう。悪人は、しかし、イエスの姿に神を見ている。自分を小さい者と知っている。弱い者と知っている。悪人は礼服を着ている。イエスとつながっている。今、神様の温かさ、憐れみを知った。自分の命は神様から与えられたもの、神様に感謝する。食卓に招かれた事を感謝する。それが本当の礼服ではないでしょうか。
イエスを信じます。礼服を着て、教会の食卓にあずかります。



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