現在のカトリック本所教会主任司祭

パウロ 豊島 治 神父
 

 
東京教区での豊島師の略歴

司祭叙階       2005年5月
     
小金井教会助任  2005年~2007年     
成城教会助任    2007年~2008年

秋津教会主任(多摩全生園・愛徳教会を含む)
             2008年~2016年

多摩教会主任    2016年~2022年
 
本所教会主任     2022年4月~

 


 
 
教会報第236号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父

「晩春」

五月のご挨拶を申し上げます。

さわやかな新緑の中、聖母月を迎えています。『レジナチェリ、レタレ、アレルヤ。天の元后、喜びたまえ。アレルヤ。』復活節の喜びを聖母とともに讃えて、教会は、このように歌います。

鐘楼のある教会ではこの祈りを促すため、朝昼晩と鐘がなります。 最近では近隣住民の方の生活環境を考慮し、音を弱くするとか、朝六時の鐘を遅らせるとか、いわゆる「呼び鐘」としてミサの開始、冠婚葬祭の送りなどに代えて使われているときいています。

私が入学した時の神学校は校舎の外につるされた鐘があり、典礼当番の中には「鐘つき当番」がありました。鐘に紐を結び滑車に通しただけのシンプルなもので加減が難しい。弱く引くと鐘の中にある「舌(ゼツ)」が音を出すのですが、これが当たらないと空振りとなり、強すぎると鐘が一回転してしまうので紐が滑車から取れてしまうこともあり、とにかく聞くに堪えないメロディになる。
オンタイムでなくてはならないので練習もできない。なかなかスリルがありました。神学校近くのお茶屋さんにいくと『新入生がはいったのね』という春のあいさつは、この鐘のリズムの違和感によるものだそうです。約二十年前神学校は新しい校舎が建てられましたが、予算の都合上と、鐘はなくなってしまいました。復活節の間は「アレルヤの祈り(レジナチェリ)」普段は「お告げの祈り」の言葉と合わせて間をとります。四ツ谷ではときどき、歩く足をとめて胸に手を当てて祈っている方をみかけます。

聖務日課といわれていた「教会の祈り」の実践もインターネット配信で合わせる方がでてきました。教会の祈りの配信チャンネルを登録されている方は四百人を超えています。とはいえ、実際祈りはきっかけがないとなかなか自力で持続するのが難しい。自己流の祈りも必要があるのでしょうけど、やはり全世界の信仰者と言葉を合わせて捧げる祈りも一致の慶びがあります。鐘の音をとまでいかなくても、きっかけをつくって祈りのタイミングを工夫できたらいいと思います。

 
教会報第235号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父

「春暖」

四月のご挨拶を申し上げます。

春の到来を感じる現象のひとつに桜の開花があります。本所教会の桜の見ごろは受難の主日あたりかと思っていましたが、実際はその前でした。道行く人が教会の前で足を止めて見入っています。

三月二十一日の春分の日には全国各地で司祭叙階があります。以前は三月の第一日曜に行われるのが東京教区では多かったのですが、数年前から主日のミサの重要性が指摘されましたので、主日以外に設定されることが今となっています。学業がおわって、復活祭前で日曜でなく、皆が参集できる日となると二十一日となります。

叙階式に必要な人はもちろん司教と叙階者ですが、他に「呼び出し司祭」と「養成担当司祭」、そして「着付け司祭」なる方が存在します。ちなみに司教叙階式は養成担当司祭の代わりに教皇からの任命書を提示する方が登壇します。

呼び出し司祭との応答は神からの召しだしを象徴します。神がその名を呼び、呼ばれた当人は行動で示します。この場合は起立し前へ進みます。もう後戻りはできない覚悟をもつことだと言われます。

養成担当は適格性を保証します。式文に書いてある通りに宣言するのではなく五年以上一緒に生活し、苦しむ姿も至らない姿も見たうえでの宣言でなくてはなりません。それは司祭になる方が自分という個の在り方を、もう一度じっくり見つめなおすことですから、時には自分の適性に疑いをもち、不安になり、葛藤という気持ちの揺れが仕草や行動にあらわれます。確固たる意志をもってだけでは叙階できず、呼びかけ、応えの在りようがまた必要とされます。

着付け司祭は感動の瞬間です。どの司祭にお願いするかは受階者が決められます。「私は司祭なのだ」と自分で意識するのが司祭ならば一人で着るよう式文ができているでしょう。でも「君は私たちの仲間だよ」と着せていただくということで確認できます。

多くの人、出来事を経て誕生する司祭叙階。この実感は実際に司祭になってみないとわからないでしょう。司祭を目指したい方、遠慮なく主任司祭まで。

先日の叙階式では呼び出し司祭がコンベンツアル聖フランシスコ管区長の谷崎神父様、適格性を述べたのは東京カトリック神学院の稲川圭三院長、 六人いらした着付け司祭の中には東京教区司祭の加藤豊神父様、福島一基神父様がなさました。

(ちなみに私の時は助祭叙階式のときの着付け司祭はイエズス会の英神父様、司祭叙階のときは東京教区司祭の大原猛神父さまでした。) 今年の叙階式では被災した修道院への火事見舞いを仁川修道院所属の和越神父様に直接渡すことができましたことを報告します。

司祭召命には志願から叙階にかけての恵みの道と司祭でありつづけるための問いかけと恵みの道があります。ですから司祭は単なる終身雇用の職務ではなく、絶えず祈りと願いを必要とする脆い器であります。お祈りお願いします。

 
教会報第234号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父

「都バスの話」

三月のご挨拶を申し上げます。

四旬節に入りました。四旬節の意義については、教皇様、大司教様がメッセージをお出しになられているので、今回の巻頭言は私の昔話にお付き合いください。

私の子どものころ四旬節は「お菓子なし」という期間でした。経済的な事情もあったかと思いますが、買ってくるお菓子はおやつ時でも存在しませんでした。でも自分でつくるのは別です。友達は四旬節であろうとなかろうと家に集まっていたので自作でと、なります。

親のいないのを見計らい、卵と牛乳と耐熱容器をだし、蒸し器をつかってレシピなしの想像だけです。さながら小学生の料理実験といいましょうか、とても食べようと思えない映えの卵料理が現れ、証拠隠滅のため全員責任をもって食しました。同窓会ともなると毎回その話題になります。

我が家ではもうひとつ、四旬節中は教会へは歩いて通うという決まりがありました。徒歩で一時間。退屈でしたし、その分、早起き、早出しなければなりません。

普段は親とバスで教会まで行けました。都営バスです。白地に青帯の車体はいつまでつづいたかわかりませんが、当時大人五十円だったと記憶しています。家の前から教会の前まで十五分間隔でした。車掌さんも同乗していました。座席に座ると近づいてきて料金を徴収します。降車ブザーは今のようにわかりやすくなく白いでっぱりがあるもので、車掌同乗のときはブザーは切られているので、恥ずかしい気持ちで「降りたいです」という意思表示が必要でした。そうすると車掌用のブザーで運転手に合図するのです。

このマンツーマンのコンビネーションが好きでした。今のバス車両には降車ドア近くの車掌スペースは跡形もなくなっていますが。

幼少のとき、四旬節中に私は何がきっかけかわかりませんが、はぐれてしまった事があり、帰るのが不安になりました。心細くなっていたら、いつものバスが近づいてきます。でもお金はありません。車掌用の窓が開き、「どうぞ」と招きます。親とはぐれた旨をつたえると、あとでおうちの人に払ってもらうからいいよ。という旨の返事をいただき、親より一足早く、家に着くことができました。これが我が人生初の「つけ払い」です。

振り返ってみて、自分はどれほど愛してくださる神に対してツケがあるだろう、どれだけこたえているだろうかと考えます。考えても究極の答えは出てこないと思いつつ、せめてこの四十日は想いをあらたにする課題をもってみたいとおもいます。

 
教会報第233号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父

「福音視点」

2月のご挨拶を申し上げます。

2月は11日に世界病者の日を迎えます。昨年末逝去された名誉教皇ベネディクト十六世の奉仕職辞任意向が2013年のこの日に伝えられました。病者への慈しみと関わる全ての人への保護を願う日でありますが、四谷の売店では起源であるルルドに纏わるものについての問合せが多いそうです。
現在はルルドの水で作られたという飴は「パスティーユ」という名称で人気です。教皇フランシスコは今年の世界病者の日メッセージで、病者の癒し手はマリアであることと、友愛のきずなの構築を呼びかけて結びとされました。

東京教区行事で感染対策なしの形式で行われたのは2020年2月11日の「世界病者のミサ(担当・福祉委員会豊島神父)」が最後でした。
それから約三年、カテドラルにおいても私たちの集いについても教会のコロナ対策の今後はどうすべきか複雑なものがあります。後遺症を抱えて生活ができない人がいらっしゃる。一方で無症状の方が感染拡大の役割を持ってしまうケースもありますし、社会機能を円滑に進める必要も増してきました。

下町宣教協力体でも司牧評議会でも、今後のコロナ対策体制について議論が続いています。本所教会の基本路線は隣の幼稚園の警戒レベルに合わせることにありますが、大前提は教皇訪日においてテーマにしたように『全てのいのちを大切に』の呼びかけがあります。
1月22日の日本テレビの報道でも指摘されていましたが、マスクにしても所謂五類に移行する課題においても「もう大丈夫だから」という単純な話しではないという点は踏まえていなければなりません。みんなが同じ形態をとって全体を守っていくというスタイルから、各人がある程度の個人の責任を担って自分と他者を守るというスタイルに切り替えたということです。自分のこと、他者のことを考えて生きていかねばならないのです。


1月16日に本所教会の子どもたちの霊的な支えでいらした阿部眞理修道士が帰天されました。癌との闘病の日々はちょうどコロナの期間と重なります。
SNSと対面の両方で思いやる信仰を毎日伝えてくださったことは子どもたちにとって恵みです。若者にとって親しい人の死は心的な喪失感を与えます。
教会に訃報から日曜日まで祈りのスペースを設けていただき故人との同伴の場としました(本教会報に詳細記載)。他教会からも祈りにきた青年がいたと聞きます。思いやりの輪が広がっています。

社会のコロナ対策も転換点を迎えています。
実際この三年、新しく解った事があったから変える事項もあれば、科学的にはわかっていないけれど、社会的選択として変わる事項の二つが混ざっていることも忘れずに過ごすことになりますが、新しい福音を見出したことも加えられればと思います。

 
教会報第232号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父

「教皇の言」

一月のご挨拶を申し上げます。
一月一日「神の母聖マリア」の祝いのミサでは前日に逝去された名誉教皇ベネディクト十六世の遺影台も備えてのものとなりました。
教会のマリア祭壇には写真と花が備えられ所謂「跪き台」も据え、五日まで祈りのスペースとしました。その後はカテドラルに移ります。(十日まで)
バチカンの修道院の一室で逝去されたのは日本時間午後五時過ぎ、日本での報道では午後九時あたりと思います。日本国総理大臣、外務大臣も年内最後の書簡として弔意書簡を出されていたと報じられています。バチカンでの葬儀は一月五日、東京ではカテドラルで十日に追悼ミサが行われます。
元日版五つの日本の主要日刊紙の扱いは、国際版での面割りでは一面比で朝日十三%、産経七%、東京六%、毎日十%、日経四%でした。急いで載せたのか複数ページにまたがっていたものもありましたが、全紙掲載されていました。
前任のヨハネ・パウロ二世の在位も長く、人気がありましたので立場は相当きついものがあったと思います。しかし教理省長官を長年歴任し、首席枢機卿として教皇職を支えてきた経歴は落ち着きを信徒に与えました。
ベネディクト十六世が選ばれたという一報が入った時、当時の駐日大使ボッターリ大司教様は「新しい教皇に教理省長官がなったのではありません。実際彼は慈悲深いかたなのです」と話されましたし、夏、司祭の黙想で青山和美神父様と寺西神父様が「今度の教皇様の書かれる書簡は実に素晴らしい。はっきりしているし、論理的である」と評されておられました。彼から神学を学んだ日本の方も多く、人柄を知ることができる書籍も多く出ているのも特徴でしょう。生涯教皇職が当然視されていた当時、生前退位をされたのも驚きをもって報道されました。公認されていませんが、「二人のローマ教皇」の映画の評判は良かったようです。
今では日本も含め諸外国の象徴は職務と果たすために何が必要ということが主となって見られているようです。
遺された回勅の中には「希望」を説く箇所があります。神とつながる人間の内面への愛です。とりわけベネディクト十六世の回勅は次世代に伝えたい珠玉のものです。
身許に召される時、最後のことばは「主よ愛しています」との報道。これぞ信仰と感じさせるのです。
救われるように努めるのは私たちの人生には責任があるからと諭された名誉教皇の多くの言葉は今も必読されるものと思っています。


 
教会報第231号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父

「フィアット」

十二月のご挨拶を申し上げます。

待降節に入り、祭壇も紫の典礼色に彩られ、外観は節電を意識したイルミネーションです。あとは私たち内面の準備です。与えられた四週間を心して過ごしてまいりましょう。

先日、降誕祭の式次第について確認していましたら、降誕祭の式次第にはラテン語式文が含まれていることを知りました。降誕祭の主の祈りはラテン語で唱えることになりそうです

ミサ典礼において主の祈りは聖体拝領を前にしたところで共に唱えます。私たちを主イエスの食卓に招き入れるものです。「神の子羊の食卓に招かれたものは幸い」との祭壇からの呼びかけに応える宣言は「幸い」を分かち合うものです。

およそ百五十年間本所教会はミサを続けてきました。それは歴代司祭の存在をしめすものです。秘蹟によって存在し秘蹟を与え続ける司祭はその記念を二十五年、五十年、七十年の節目に祝うのが通例です。本所教会の関係では第八代主任司祭吉川敦神父が今年五十年にあたります。 先日、教会を代表して吉川神父様の療養先にお訪ねしました。直接お会いして、何とか本所教会でご一緒にミサを行いたいとお願いするのが私の一番の目的でしたが、病状を伺ってしまった後では提案を切り出せませんでした。でも暖かく人を迎え、真摯に話す姿はお変わりありません。
教会へのメッセージをお頼みしたら即座に「み旨が行われますように」を力強く記されました。
主の祈りの前半にもあるこの願いは故人となった吉川神父様の盟友と呼ばれる方の大切にされているものと療養先の刊行物で理解しました。メッセージを持って写真に写られた神父様には覚悟を持った信仰者の威厳を感じるのです。

以前晴佐久神父様が私に示された言葉がありました。

『「御国がきますように」 と祈りながら、御国に呼ばれることを恐れるのはおかしい。』

マタイ福音書の「主の祈り」にあることばです。私は日頃「恐れ」を感じたときにみることにしています。今年の主日は主にマタイ福音書が読まれていくことから、深めることができることばです。 マタイ福音書が「神は、わたしたちとともにある(一章二十三節)」という感動的な救い主の誕生の言葉ではじまり、「私は世の終わりまであなたがたとともにいる(二十八章二十節)」という復活の救い主のことばでおわるのは、共にあるという喜びを告げているかのようです。

{主の祈り・ラテン語}
Pater noster, qui es in caelis,
sanctificetur nomen tuum.
Adveniat regnum tuum.
Fiat voluntas tua, sicut in caelo et in terra.
Panem nostrum quotidianum da nobis hodie,
et dimitte nobis debita nostra,
sicut et nos dimittimus debitoribus nostris.
Et ne nos inducas in tentationem:
sed libera nos a malo.
Amen

{聖母マリアへの祈り・ラテン語}
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Iesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen

 
教会報第230号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「希望の月」

十一月のご挨拶を申し上げます。

月の始めの一日に諸聖人の祭日を祝います。翌日二日に「死者の日」として祝い亡くなった全ての方の安息を願います。
聖人であっても、その途上にある方でも、友人・知人・家族を始め亡くなられた方を思って祈る時、最も真剣に祈られていることに気づくのではないでしょうか。死者を念(おも)って祈る時、自分の心にある日頃の思い患いが癒やされ、清められているのです。
死者はこのようにして、「神の近さ」を私たちに感じさせてくれます。

『わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです(二コリント 四章十八節から五章一節)』

定められた日に父なる神の家に辿りついた方々の後を追う私たちも再会に希望を託して今を一生懸命生きることになるのです。

さらに今月は典礼暦の最終日曜の「王であるキリストの祭日」に向けてすべてのものの終末について思いを新たにする月でもあります。あらゆる終わりはその彼方に私たちを待っている永遠のいのちへと導かれているのです。キリストは、そこに向けて全てのものを導くためにこの世に生をうけ、十字架の死と復活の過越しによって、希望をもたらせてくださったと教会は宣言します。

そしていよいよ今月から「新しいミサ式次第」に切り替わります。新しい式文の解説については、カトリック新聞・東京教区ニュースをはじめインターネットで閲覧できる多くの動画サイトにありますので、教会としては先ず慣れることを主としています。細かい所作はモニターを設置しています。なるべく早く覚えてキリストの記念が行われる祭壇に合わせたミサの雰囲気を作っていきましょう。
大司教の呼びかけ(注)や日本語以外を母語とする方々の要望があり、また周辺の観光地をめぐる旅行者も増加する見込みがあることから、教皇訪日のミサのように多言語でのミサができるように準備しました。しばらくは二月の殉教者ミサのこともありますので一部ラテン語を用いたミサ式文で施行となります。新しい式文は教会の暦によって式文が多様になっていますので、多くのミサ回数で全部を経験することになります。まずは言葉の豊かさを味わいながらミサを大事にする教会になっていきましょう。み言葉と感謝の祭儀によって希望の神の導きに力づけられるように。

(注)下記に内容があります
「宣教司牧方針策定のための10の課題まとめ」課題八
東京大司教区「宣教司牧方針」十八頁

 
教会報第229号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「隠されている業」

十月のご挨拶を申し上げます

いかがお過ごしでしょうか。
公園や土手を曼珠沙華が彩ったお彼岸も終わりました。
是非を二分する国葬も終わりました。九段坂公園からイグナチオ教会に至る一般献花の列に当日遭遇しました。公式ではありませんがデジタル献花もあったそうです。物理的な距離を縮める効果を持つデジタルならではで、需要も多かったと報道されました。

東京教区司祭寺西英夫神父様が九月二十六日早朝帰天されました。いつもの日課の大相撲(千秋楽)とプロ野球をテレビでご覧になり、就寝されてからしばらくして息を引き取ったとのことです。
あまり感情を表現されない神父様ですが、目立つことはありませんがしっかりと福音を示す生き方をされたといえる方でした。
故人への評価は人それぞれ異なり移り気です。ですから正当なことは隠れたところをも見ておられる神様のみがなさると考えます。どれだけ人を愛したか、どんな時に祈りを捧げていたかの全てをご存じなのは神様なのです。

死者の月(十一月)の前に当たる今月は「世界宣教月間」です。
「宣教者」といわれていた教皇ベネディクト十五世が、1919年に福音宣教に関する使徒的書簡『マキシムム・イルド』を発布されました。私たちの宣教の使命と実践を思い起こすこと、全ての人に対する神の愛を証するために国境を越えること、福音の喜びに心を開くこと、を述べています。
本所教会と地域的繋がりを持っている上野教会では「福音講座」を実施しています。悲観的な思考を捨てイエスの愛の宣言を私たちの生き方と働きの証によって示してゆく動きは広がっていくと思われます。

今年の教皇メッセージでは「殉教者」についても加えられています。
『究極的には、真の証人とは「殉教者」で、キリストがわたしたちにご自身を与えてくださったことにこたえて、キリストのためにいのちをささげる人のことです。
「福音宣教の第一の動機、それは、わたしたちが受けているイエスからの愛であり(ます)。」 (『福音の喜び』264)』

日本二十六聖人を保護の聖人としていただいている本所教会はデジタル機器を用いたミサ式文提示を開始しました。これは今年5月19日に成立した障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法への教会としての対応の一環です。ミサを源泉として使命に励みましょう。



 
教会報第228号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「この夏に捧げること」

暑中お見舞い申し上げます
七月の中頃から聖母被昇天の前日までお隣の浅草・上野教会のことをお願いされています。主任の晴佐久神父様が青年たちとキャンプに赴くからです。奄美大島で行われるキャンプはスケールが大きいので、神父様をはじめ準備はとても大変と感じます。
私も神父様の担当する教会の青年であった時、連れて行っていただきました。メンバーが確定すると、無人島で過ごすことを実現するために渡航前から基礎訓練が始まります。はじめは一緒に旅する仲間づくりです。
奄美大島に着いた後も、古仁屋教会にベースキャンプを作り(当時主任司祭でいらした故谷村達郎神父様の協力もありました)、素潜りの練習やここでも仲間同士の助け合いの訓練みたいなものがありました。わたしたちの時は六人でしたが、同時に台風が三つ来島した時でした。波のうねりがひどく岩に打ちつけられ背中が傷だらけになったのでした。
結局台風の影響と備品係がタグボートの空気栓を忘れたことで無人島には上陸できず、近くの大学の研究島らしいところでしばらく過ごし、帰京したという唯一無人島生活が叶わなかった年度でありましたが、透き通った海の深くに潜った先にある落ち着きのある青色が心に残っています。科学的に分析すれば南方の海は太陽の光が強く、海の透明度も高く加えて浅瀬が多いのと砂が白いことから赤・橙・黄・緑・青・紫・水色で成り立つ太陽光の青の部分が際立つとのこと。神さまがお創りになった世界の成り立ちの素晴らしさに感嘆したのを覚えています。
九月の第一日曜は「被造物を大切にする世界祈願日」となっています。被造物を大切にするためには、神さまがお創りなった全てのものから感謝を感じなければ始まりません。
今年も多くの青年が神様の想いを感じることができると期待しています。同時に晴佐久神父様のお働きに神さまの力添えを願って祈っています。

■九月 すべてのいのちを守るための月間
日本の司教団は訪日してくださったフランシスコ教皇様が発信されたメッセージに応えるため、九月一日から十月四日まで「すべての命を守るための月間」と定めています。設立当時の高見司教協議会長は『全ての命を守るためには、ライフスタイルと日々の行動の変革が重要であることは言うまでもありませんが、特にこの月間に、日本の教会全体で、全てのいのちを守るという意識と自覚を深め、地域社会の人々、特に若者たちと共に、それを具体的な行動に移す努力をしたいと思います』と呼びかけられ、前述の九月の被造物を大切にする世界祈願日の祈りと期間中は「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」を唱えるよう呼びかけられています。また加えて、エコロジー教育を行うことと諸団体との連携活動が呼びかけられています。

カリタスがキャンペーン活動
この会長の呼びかけに対して本所教会としては、祈りに直ぐに取り掛かれますが、後半の二つは難しいです。ちょうど国際カリタス(カリタスジャパンはその日本を扱う)ではトゥギャザー・ウィというキャンペーンを昨年末から始めています。現在発足したての東京カリタスがこのキャンペーンを展開する担当となっていますので経過をみてゆくことになります。
 
教会報第227号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「白髪があって」

 七月のご挨拶を申し上げます
七番目の月のことを和風月名「文月」と当てはめられています。元々は旧暦の七月を意味し暦の上では秋となる名称ですが、七夕や短冊などをその語源とするのが有力です。
 七月の最終土曜に開催される隅田川の花火大会も今年も中止が発表されていますがこんな時こそ日頃の思いを文で伝えたいと考え、今年こそは暑中見舞いハガキを送ろうと本所郵便局を訪ねましたら、暑中見舞いハガキ「カモめ~る」は昨年から発行していないとのこと。出鼻を挫かれ数枚の切手を購入しそのままになってしまっています。頃合いを見て先輩へ向けてハガキでなく手紙を書こうかと思っています。

 七月の四番目の日曜を教皇様は「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に昨年一月、創設・制定されました。日本ではこの趣旨を九月の「敬老の日」として記念することが一般的ですが、カトリック教会としてはイエス様の祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの記念日にある七月二十六日に近い日とされました。教皇様は毎年この日にあたってメッセージを出されています。

 二回目となる今年のテーマは
「白髪になっても なお実を結び」です。
これは『いかに楽しいことでしょう』で始まる詩編九十二の結びです。

『神に従う人はなつめやしのように茂り
 レバノンの杉のようにそびえます。
 主の家に植えられ 
 わたしたちの神の庭に茂ります。
 白髪になってもなお実を結び
 命に溢れ、いきいきとし
 述べ伝えるでしょう
 わたしの岩と頼む主は正しい方』

 教皇さまは今回のメッセージや今年に入ってからの「老齢期」という講話から年齢に縛られた見方をしがちな世界へ示唆を与え続けられました。
『わたしたちが実らせる果実の一つは、世界の面倒を見ることです(教皇メッセージより)』

 『世界は今、試練の時を迎えています。パンデミックという予期せぬ猛烈な嵐が吹き荒れ、次に地球規模で平和と発展を壊す戦争が起きています。前世紀に戦争を体験した世代がいなくなりつつある今、欧州で戦闘が再び起こったことは偶然ではないでしょう(略)理解ある優しい眼差しと同じ眼差しで他者を見る(責務があります)(同)』

 二〇二一年のヨゼフ年から始まり、今年六月までを「『愛のよろこび』(家族年)」にするとされ、結びとなるこの祈願日の流れに対して、司教協議会高見前会長は談話の中で呼びかけておられました。
『教皇は(中略)辛い状況にある私たちが、特に、家族のことを想い、大切にするようにしましょう、と呼びかけておられるのではないでしょうか。』

 新型コロナウイルスによる対応で高齢者の住居への人の往来が規制されてきました。感染を防ぐためとは言え、これを組織的な高齢者への「切り離し」と指摘する方もおられます。ミサも規制対象となりました。オンラインがあるからと言っても、高齢者と次世代がつながりづらくなったのも事実です。教皇さまが制定時からのメッセージでおっしゃっていたのは若者に希望を与える高齢者の役割と手助けする喜びを示す若者という形でした。

 一方介護という不安もあります。現代高齢者へのケアプランは多種あり、手厚いとされていますが、個々の必要な生活の手助けとしては万全ではないと現場は感じています。
普段、高齢者のことを考えたり、世話をしたりすると、安全管理という名目での現実の段取りのことでいっぱいで、存在の意義や個々人の生きる希望を考えるのをなおざりにしていることに気づくことがあります。

 自身も高齢者であるとメッセージで表明されている教皇さまのため、司教のためそして高齢の司祭のためにお祈りください。
 
教会報第226号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「神の召されたことを」

 本所教会として名誉と思う知らせが届きました。
大司教様のブログ「司教の日記」5月8日におきまして、本所教会出身の稲川圭三神父様が、東京カトリック神学院の院長となられた、という内容です。

 東京都練馬区関町にある神学校は1929年に東京公教大神学校(聖フランシスコ・ザベリオ神学校)として確立されたのち1948年に認可、東京カトリック神学院と呼ばれます。
1970年に札幌教区の田村神父様が院長になられた頃から教区の運営となります。
2009年にサン・スルピス神学院と統合され日本カトリック神学院と名を変え福岡との二拠点システムを開始。
2019年には新たな東京カトリック神学院となるのです。

 一報があってから圭三神父様は設立以来何代目の院長かとご質問をいただくのですがこのような変遷がありますので答えられないでいます。2019年の体制になってからは2代目であります。

 現在の東京カトリック神学院は九州地区を除く教区司祭養成と修道会司祭の知的養成の場となっています。修道会は以前知的養成の場としてアントニオ神学院がありましたが現在は閉校していますので、上智大学・大学院との二か所で場があります。

 近年、新しい司祭養成課程が示され、司祭となる道は長くなりました。「予科」が新設され、養成課程が最低6年から7年半となりました。現在東京神学校はその予科生の共同生活の場のために神学校敷地内に新しい校舎を建設する準備をしています。上智大学へ通う神学生にとっては近年大学院の課程も必要となり、学費の負担がかかります。
教区・修道会神学生を支援する「一粒会」があります。(あまり知られていないようですが)一粒会の会員は東京教区の信徒全員。祈りと献金で支援します。献金も大切ですが祈りも常にお願いします。私の今までの経験上司祭になりたいという若者は減っているという実感はあまりありません。司祭になりたいという若者と面談は何度もしてきました。しかし、この長い養成課程が必要であること、司祭志願者が入学試験を受ける識別においても時間をかけることから諦めるケースもあります。
ですから入学志願者も判断者もこのプロセスは厳しいです。
司祭に対しての教会法典が改定されました。今後の司祭のあり方に影響するでしょう。

6月はみ心の月です。今年は6月19日がキリストの聖体、24日がイエスのみ心の祭日です。この流れからもあるように、24日は「世界司祭の聖化のための祈願日」です。

6月も一生懸命な祈りをよろしくお願いします。
 
教会報第225号 巻頭言
パウロ 豊島 治 神父
「着任のご挨拶」

 着任のご挨拶を申し上げます。個人的にこの地について思い出すのは 助祭となる前の 神学生時代、浅草教会に滞在していたことがあり、伊藤幸史神父様と共に本所教会を訪問いたしました。当時宣教協力体が発足し、上野教会と共にこの3つの教会は「下町」 の名を選び下町宣教協力体として今日に至っています。この「下町」という冠をいただ くに至っての軌跡は簡単なものではなく、伊藤世話人司祭のタフな交渉があったと記憶 しています。

私は司祭となって今までの17年間のうち1年間を除いて多摩地域の教会を歴任してきました。ですからこの「下町」に前任の渡邉神父様との引き継ぎの話のために久しぶりに降り立って感じたのは、新型コロナウイルス感染症についての向き合い方の雰囲気の違いです。例えば、コンビニでのトイレをお借りすることができないと言われました。 幸い近辺には公園がありその設備もありますので事足りることが分かりましたが、とて も困りました。それだけ綿密に対策を継続してきたのでしょう。
感染拡大防止の多くの取り組みは私たちに予防の意識を高めましたが、一方では急速に オンラインシステム、そして人の集まり方を変えました。それが2年以上続いています 。もはやいわゆるコロナ前にそのまま戻ることはできず、新しい試みを繰り返しながら社会が形成されていくと言われます。事実私はコロナ前の本所教会の様子を知らないのです。これからも世の中は試行錯誤の繰り返しでしょう。

本所教会の音響システムが変わって初の主日ミサは4月24日の神のいつくしみの主日でした。この日、東京カテドラルでは菊地功東京大司教司式のミサにおいて「カリタス東京 」の設立が述べられました。詳しくは「東京教区ホームページ」(2021年8月8日お知 らせ)、「司教の日記」(2022年4月24日;当日の説教の文章含む)に記されていますが、豊かな器が用意された感じがします。私たちが神から与えられた良いものをどう生かすか、そのことを互いに育み合ってゆくことができればと思います。
 






 

ページのトップに戻る


 

講話集
 

第9代 カトリック本所教会主任司祭
酒井 俊雄 神父の主日のお説教集

(2010年2月21日から2011年4月17日まで掲載)

 

四旬節講話  2008年2月17日
『十字架―キリスト教のトレードマーク』

講師 国井 健宏師(御受難修道会)

 
クリックしてくださいPDF書類で開きます
PDF書類をご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。下のアイコンをクリックし、無料配布されているAdobe Readerをダウンロードするか、コンピューター関連雑誌の付録CD-ROMなどで入手し、インストールしてください。
(注:接続回線の状況によっては時間がかかる場合があります。)
 
日本二十六聖人殉教者祭   2007年2月4日 カトリック本所教会 
前田万葉師
(カトリック中央協議会事務局長)
講演の記録はここをクリックしてください
 

日本二十六聖人殉教者祭   2006年2月5日 カトリック本所教会 
マルコ・アントニオ・マルチネス・フランコ
(グアダルペ宣教会・千葉寺教会)
講演の記録はここをクリックしてください

 
日本二十六聖人殉教者祭   2005年2月5日 カトリック本所教会 
高松教区 溝部脩 司教
講演の記録はここをクリックしてください
 
日本二十六聖人殉教者祭   2003年2月2日 カトリック本所教会 
日本二十六聖人記念館・館長 結城 了悟 師(イ エ ズ ス 会)
講演の記録はここをクリックしてください
 

 

ホームへ戻る ページのトップに戻る

お問い合わせ 〒130-0011 東京都墨田区石原4-37-2 TEL:03-3623-6753 FAX:03-5610-1732