「聖霊降臨の主日」(A年) 説教
2011年6月12日・加藤 英雄師


その日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。墓の中にイエスの遺体はなかった。マリアはペトロともう一人の弟子のところに走って行って告げた。主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか分かりません。ペトロともう一人の弟子は墓に向かって走った。墓に着いた。イエスの遺体はなかった。亜麻布とイエスの頭を包んでいた覆いが置いてあるのを見た。  マリアは墓の外で泣いていた。イエスはマリアに声をかけられた。わたしにすがりつくのはよしなさい。わたしは父のもとに上る。

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
「あなたがたに平和があるように。」
弟子たちは目の前にイエスを見た。弟子たちは驚いた。イエスの挨拶が心に響いた。(本来、挨拶は心と心のつながりです。挨拶の、挨は押すという意味があり、拶も、押し迫るという意味があるそうです。自分が相手の中にいることを思う、相手が自分の中にいることを思う。相手の中に入っている、相手が自分の中に入っている。そのつながりを喜ぶ。それが本来の挨拶です。)
「あなたがたに平和があるように。」
イエスは重ねて挨拶された。弟子たちはイエスに温かさを感じた。イエスを見て喜んだ。新しい人となって、平和のために働きなさい。わたしの平和をあなたがたに与える。わたしの平和とは、わたしの姿が示した平和です。わたしの姿が、わたしの平和があなたがたの中にいつまでも生きているように。平和を造って行く者になりなさい。
イエスは息を吹きかけられた。聖霊が注がれた。初めの始めに神様の息吹によって人は生きるものとなった。今また、神様がわたしたちに息を吹きかけられた。神様の命、聖霊が注がれた。人は新しく生きるものとなった。そして言われた。人の罪を赦しなさい。どんな悪人であってもその人を善い道に招きなさい。その悪人の犯した罪を、犯す罪をすべて受け入れなさい。その時、その悪を行う人に善が見えます。自分を包んでくれる善が見えます。受け入れられた時、その人とつながります。つながりが平和です。赦し合えるとき、平和が来るのです。平和は神様に向かって共に歩く事です。赦し合えることです。

イエスの復活から50日目、弟子たちは一同に、一つになって集まっていた。激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえた。家中に響いた。炎のような舌が別れ別れに現われ、一人ひとりの上にとどまった。
風は霊。舌は言葉を話すもの。炎のような舌:神様の燃える思いが、聖霊が話す、神様の言葉を話す。弟子たちは聖霊に満たされ、霊によって語ります。ほかの国々の言葉で話しだした。ほかの言葉とはその地方の方言だそうです。いや、もっと自分の思いに近い言葉ではないかと思います。自分たちの心のそこにある思いを言葉で語っている。大きな音が聞こえた。行って見ると、自分たちのなじみ深い言葉で神様の偉大な業が語られているのを聞いた。あっけに取られたのです。神様の神秘がわたしの心の、体のなじみのあるところ、懐かしいところに入って来るのです。よそ行きの着物が消えて、普段着の心が自分たちの本音を心が語ったのです。 人々は弟子たちの言葉を、感動をもって聞いたのです。

神様と出会う。聖書の言葉を理解して神様を知るのではない。聖書の言葉に神様の思いを味わう、神様の呼びかけを聞くのです。聖霊によって今、神様と出会っている。その喜びを自分の言葉で語る。それぞれが違った言葉で語る。その違った言葉が神様に向かってゆく。一つになって神様に向かって行く。

聖霊降臨。生きる命の出発です。自分の生きる出発です。教会が生きる、聖霊によってキリストの姿が生きる。教会の誕生日です。
聖霊降臨おめでとうございます。

 


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